折本ひとみの活動報告折本ひとみの活動報告

一般質問が終わりました

昨日、一般質問に立ちました。
質問項目は、→この記事でお知らせした通り。

東日本大震災後の最初の質問で、聞きたいことがたくさんあり、できるかぎり項目をしぼったつもりでしたが、本当に時間が足りませんでした。

特に、私が、「市が義援金を呼び掛け、2億円強の義援金が寄付として一般会計に組み込まれているが…」と言ったところで、市長が「市は義援金をお願いしたことがない」と反論。驚きました。私が所属しているボランティア団体も、市の要請を受けて義援金を出しています。そのことを言うと、「いい加減なことを言わないでほしいと」いわんばかりの再反論にあいました。

でも、先ほど、市のホームページを確認したところ、写真の通りトップページの「注目情報 浦安市災害情報」のところに、「浦安市災害義援金のお願い」とあります。ページをたどっていくと、やはり「浦安市災害義援金のお願い」というタイトルのページに、受付口座などが案内されています。

これが市からのお願いでなくて、なんなのだろう…としばし考え込んでしまいました。本文には、問い合わせが多いから受け付けることにしたとあるので、ひょっとしたら、義援金を出したい方の「お願い」? そんなことはありませんよね…。

一般質問では、財政部長が、一般会計に組み込まれているこの「浦安市災害義援金」を、堂々と「全額被災者に分配する」と答弁したのち、やはり「一般会計に組み込まれている」と、発言し直す場面も。そんなやりとりでも、予想外の時間をとられました。

そもそも、浦安は今後「経験したことのない」厳しい財政状況になると認識しながら、その危機感を市民と共有しようとする姿勢が欠如していると考えています。新庁舎(計画通り続行・市長発言)や、花火大会の開催(7千万円)、そんな事業の続行により、市民は「まだまだ浦安には余裕がある」と考えてしまうのではないでしょうか。
避難所でもある学校の全面復旧に、2~3年かかるという答弁もありました。こどもたちは、まだ仮設トイレを使用しているのに、花火、市庁舎。果たして市民理解を得られるものなのかと思うのです。

浦安に「災害義援金」をくださった方々は、どんな想いで、支援してくださったのでしょう。一方で支援を受けながら、一方でその金額の3分の1に相当する予算を1夜の花火につかってしまうことや、いただいたけれど「お願していない」と言いきる市長の発言をどう受け取られるのでしょう。

その他、復興計画では、「国の液状化対策の方向性が示されない限り、市は動きが取れない」とか、放射能汚染では「市が独自に行うことではない。国に明確なガイドラインを示すよう要望している」とか(足利でも我孫子でも独自の検査を実施、川口市では独自のガイドライン策定)、原発問題や復興に、市が主体的に取り組んでいく姿勢を確認することができなかったことを非常に残念に思います。

詳細は、後日、さぁ、いっしょに新聞40号でお知らせいたします。


ダメ、ゼッタイ

市内の小学校を訪ねて、6年生を対象の薬物乱用防止キャンペーンに参加してきました。

このキャンペーンは、私の所属しているボランティア団体が主催して、毎年行っています。
通常は新浦安駅の広場などで、お馴染のキャンペーンバスを使っての展示なのですが、麻薬・覚せい剤等の薬物乱用が低年齢化していることから、昨年からは、小学校にお邪魔しています。

写真は、その際に着用したセーラー服(襟はハサミで切りっぱなしの紙製、袖口と襟に黒の絶縁テープを貼って、シャツの裾を折り曲げて出来上がり)です。

なぜセーラー服か、お答えしましょう。

キャンペーンでは、薬物の恐ろしさを映像で見せたあと、寸劇をやって、知らないうちに薬物に手を出してしまう危険性を、子どもたちにわかりやすく教えます。
その寸劇の登場人物の一人、真面目な女子学生「正子」が私の役です。それで、役作りのための衣装を即席で作ったというわけです。


正子が主役のシーン4(シーン1と3は小学校の先生が熱演)は、こんなお話です。





場面は正子の自宅、成績が下がったことを咎める父と、それに反発する正子の会話から始まります。
次の日、学校で「元気ないね」と、友達のナオミが正子に声をかけます。
正子は、昨夜あった両親との会話について愚痴をこぼします。
「じゃ、気晴らしに新宿でも行こう」というナオミの誘いに乗る正子。

ここは新宿。
二人はちょっとあやしいおにいさんから、かわいいハート型の薬をもらって飲みます。
その途端、いらいらしていた気分が嘘のようにすーっと晴れるような気分になる二人。
新宿で遊んだ後、二人が正子のうちに着いたのは、真夜中をすぎてからです。

その間、帰りの遅い正子を心配して、父は捜索願を出していました。

捜索願を取り下げに、父に連れられて警察を訪れた時、正子とナオミは、覚せい剤取締法違反で逮捕されてしまいます。




この寸劇は、実話に基づくもの。「ダメ、ゼッタイ」を合言葉に、こどもたちを危険な薬物から遠ざけていかなければなりません。薬物乱用の意識調査では、薬物からこどもを守るために「学校での薬物乱用防止教育」が有効と考える人が7割近く存在します。

私たちの活動が、そうした教育に少しでも役立てれば、急ごしらえのセーラー服姿になって、会場の笑いを誘ったかいがあります。

音楽の力

梅雨の晴れ間のお昼下がり、明海小学校と高洲小学校で、「がんばろう浦安コンサート」が開催されました。

浦安市在住の早稲田グリークラブのOBが、被災した小学校の子どもたちのために企画したものです。
「You are my sunshine」、「線路は続くよどこまでも」、「千の風になって」などを披露。
パートの紹介もしたり、こどもたちと全員で、お馴染の「さんぽ」を歌ったりしました。
「となりのトトロ」のテーマソング「さんぽ」は、歌っていくうちに曲調がだんだん元気になりますね。2番3番と盛り上がり、ラストは全員の声が大合唱となって、体育館に鳴り響きました。

コンサートの最後は1970年代のフォークソングの10曲メドレー!
チューリップ、かぐや姫、ビリーバンバンなどなど、こどもたちにはあまり馴染みのない曲でしたが、後ろで聴いていた保護者の方や、先生、そして誰より私が癒されました。

遡って、5月22日には、文化会館で浦安シティオーケストラの「がんばろう浦安コンサート」もありました。
こちらは、楽器の演奏なので、練習場所がなく、また、文化会館が災害復旧本部になっていたため、開催自体が危ぶまれていたそうです。

パートの練習も2、3回しかあわせることができなかったということでしたが、そんなことは全く感じさせない完成度でした。

演目は、「メリーウィドウ」、「カルメン」、「椿姫」、「ボエーム」、「アルルの女」、ベートーベン交響曲第7番、第1、第4楽章 など、ポピュラーなクラッシックが中心。そして、今回は、「がんばれ浦安」ということで、浦安シティオーケストラに関係したプロのソリストが、7人も応援に駆けつけての演奏会だったのです。
歌手の方々の声も素晴らしく、最後は「ふるさと」を、会場を巻き込んでの熱唱で締めくくりました。

こどももOKということで、会場には親子連れが多く、赤ちゃん連れもちらほらみられましたが、小さなころにこんな素晴らしい生の演奏に触れられる機会はあまりなく(しかも無料での開催)、たくさんのこどもたちの心に、音楽が持つ力の本当の意味が印象付けられたと思います。

震災から、3か月。今、被災地の各地でこうした、心の復興に向けたイベントが、大なり小なり多数行われています。
開催する側も、好きな音楽を通じての支援活動に心も入り、また、発表するという目標を持つことで練習にも集中しでき、自分たちが元気になるでしょう。また、それを観たり聴いたりする側の人を癒したり、力づけたりすることができた体験は、今後の活動の大きな財産になると思います。

被災者支援には、さまざまなかたちがあります。なんでもいいから、自分にできることをやってみよう、という姿勢が大事だと、2つのコンサートの出演者が教えてくれていたような気がします。

6月議会開幕

6月議会が開幕しました。

今回の議会には、東日本大震災の復興や被災者支援の予算約89億4千万円が盛り込まれた、補正予算案などを中心に14議案を審議します。
議案一覧はこちら(PDF)

復興・被災者支援の財源として、三番瀬に計画していた環境学習施設や運動公園の整備など33の事業を止めた他、経営的経費を削減、財政調整基金の取り崩し、新たな起債などが充てられています。

当然のことながら、今年1年で復興が遂げられるはずもなく、また、新たな震災の危険性も叫ばれており、それに対応する余力も残しておかなければなりません。浦安の財政は、厳しい局面を迎えています。慎重に審議したいと思います。

会議日程はこちら(PDF)

今週のひとこと vol.164 「震災の語り部」

再選された市議会議員全員で、市内の被災状況と復旧状況を視察しました。
私たち市議会議員も市民ですので、市の被災状況はそれぞれ良く知っているのですが、偏りがあるのも事実。私自身、今川や日の出、入船など地域については、震災直後の状況と復旧の足取りを毎日のように見てきましたが、全市をつぶさに知っている訳ではありません。

議員が同じ条件で市内を視察することで、認識を共有できるという意味で、意義がある視察だったと思います。

写真は、日の出の墓地公園先の護岸です。市民が生活している街中は、「仮り」であっても復旧が進んでいますが、こうした場所は震災後手つかずのままに、浦安の被害の大きさを語り続けています。

この後行った先も、まさにその「語り部」のひとつ。市が、液状化による被害を忘れないために保存をすることを発表し、昨今話題になっている飛び出したマンホールです。このマンホールは、高洲中央公園に設置した災害用に水を貯蔵する耐震水槽のもの。平成8年に1億1千750万円をかけて整備されました。

市は、「被害の記憶にふたをせず保存することで市民の街への思いをひとつにしたい」と保存の意義を語っているようですが、血税をつぎ込んだこの水槽が「街への思いをひとつにする」ことにつながるのか、私は、はなはだ疑問に思っています。

この水槽のマンホールは、震災の中の人災のひとつと言っても過言ではありません。もともと震度6強の震災を基準にして整備されたこうした施設や対策が、機能しなかったことを雄弁に語っている負の遺産です。それを見た市民の心に、苦々しい気持ちが湧くことはあるとしても、「街への思いがひとつ」になるような温かな気持ちを抱いて欲しいと願うのは、市民感情と大きくかい離していると言わざるを得ません。

震災後入船保育園の門に飾られた「がんばろううらやす」の横断幕、泥かきに使って先が曲がってしまったシャベル、市民が総出で噴出した土砂を詰めた土のう、自治会で助け合いお年寄りの家に水を運んだバケツ、義援金に添えられた励ましの手紙、他市・他県から駆け付けてきてくれたボランティアの方々がつけたネームカード…私たちは、震災後たくさんの美しいものを見てきました。

「街への思いをひとつ」にした市民の記憶に残るそうしたものこそ、震災の語り部としてふさわしく、それこそ、郷土博物館に特設コーナーを作ってでも、語り継いでいきたい真の遺産です。